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類い稀な絶望感 / 前編

 豪門寺の邸宅に、菊地が居候し始めて4日である。掃除、洗濯、炊事‥、豪門寺の為の日常は、鼻歌が出るほどに菊地にはパラダイスであった。そして、当の豪門寺も、前妻と暮らした新婚生活より、居心地の良い我が家を痛感していた。ただ、その円満な偽装家庭に欠けているのは、愛を確かめるべき行為、肉体的な交歓でもある性生活が欠落しているのだ。 菊地は、チラリと天使の絵柄に目を向けた。急に落ち着きのない気持ちになり、昨夜の豪門寺の熱いまなざしを追い払うかのように、足もとのブティック・バックから目を逸らした。「‥翻弄されちゃうな~厭じゃないけど。でも、きっと豪門寺センセーのコトだから 激しいんだろうな~」激しさの極意も把握出来ずに、菊地は激しく求められる事を期待している。だが、経験値も想像力も乏しく、激しさの意味すら不明瞭なのである。菊地は、緩い今の関係に満足し安心していた。口の開いたブティックバックから、ピンクの地が覗けた。「リクエストだったから、仕方ないし~」と、言い訳がましく菊地は軽く首を振ったが、そのリクエストは女装である。しかも、プレー・ランジェリーなスケスケのベビードール!従順に試着を承諾した己の下僕ぶりだが、開き直りでも、女装はまんざらでもない‥。菊地は、鏡に映る自分に肩をすくめて見せる。時間差で押し寄せる明白な羞恥に、菊地は今になって身悶えた。そして、羞恥の隠ぺいの様に、ウォーキング・クローゼットの掃除にいそしむ。整理整頓に服の手入れ、昨日、外出に着ていた革ジャンを手に取る。そして、ポケットの中を確認していく。

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 外ポケットからは、性風俗店のビラや、新店舗オープンの割引券が出て来た。『高杉さんと‥。 どこで遊んでたんだろう?』菊地は無条件にそのビラを丸め、エプロンのポケットに仕舞い、今度は内ポケットをチェックした。枕元に置いてた筈の豪門寺の写真もある。元は菊地の持ち物であり、素早くエプロンのポケットに回収する。そして、二つ折りの紙キレを何の気なしに開いた。「え゛?」菊地は恐怖に近い表情で、大きく目を剝き、凍り付いたように硬直した。

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 菊地の眼鏡がじわじわ曇っていく。口は干上がり、紙キレを持つ手は震え、菊地は前後左右に僅かによろめいた。そして、硬直したまま息を飲む。「‥あぁ、どうして、これが?」

 

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 手にした紙キレとは、遠三根忍との契約時に一筆書かされたいわゆる[契約書]であり、昨夜の豪門寺の台詞でもある『僕が何も知らないとでも、思ってるの?』と言う一語一句の意味を、今更のように感じ取る。菊地は、茫然と己の字面を見つめた。色でたとえるなら灰色に思考が停止し、絶望的な面持ちで菊地はため息を吐いた。


 午前の外来患者がさばけた時間帯。豪門寺は一目散に、泌尿器科の診察室を後にする。混み合う食堂ではなく、トイレへと直行した。長々用を足しながら、脳裏をかすめる菊地要の様々な表情に昨夜の肢体‥、会話のあれこれ、『いま、何してるのかな?』そう思うと、豪門寺は不意に菊地の声が聞きたくなった。先客も足早に出て行くトイレで、豪門寺はボックスへと移動した。そして、ポケットから携帯電話を取り出し、便座の蓋には座らずに壁に寄り掛かった。綻ぶような薄笑いを浮かべながら、自宅に掛ける。菊地には、「外線には対応しないでいい」と、言い付けた筈である。だから、この呼び出しに菊地が応える筈はないのだが‥。豪門寺はしつこく3度も掛け直した。繰り返し耳にする呼び出し音。耳に当てたままの携帯電話だが、その呼び出し音が唐突に止んだのである。一瞬、豪門寺は息を詰める。双方の沈黙を破る様に、豪門寺は口に手を当て、「お‥奥さん?」と下卑た口ぶりで咄嗟に訊ねた。口に手を当てたのは、込み上げる笑いを誤魔化す、と言う策であったが、「奥さん」と言うセリフ回しは、演出を一脱したアドリブに他ならない。ソレは愉快を通り越し、痛快もさることながら、七転八倒な狂喜をともなっていた。堪えに堪えた失笑は、豪門寺の指から漏れて小刻みな息遣いとなって携帯を襲った。

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卑猥な相手の鼻息にも聞ける、はぁはぁする息遣いに聞こえる音。「ゃ‥」菊地の耳には変態のイタ電にしか聞こえず、返答出来ない程にあたふたしている。その卒倒しそうな菊地の様子が容易に想像出来たが、豪門寺は途中で菊地が気付くのを期待し、悪乗りをエスカレートさせた。「奥さ‥ん、パン‥ちィー  パンチィー はぁはぁ どんなの‥」と、辺りを憚る小声で、声音を変えて問い掛けた。「いつもは、 しゅ、主人のブリーフ‥」そう答えて、菊地は電話を切った。豪門寺は背を丸め、膝に手を当て哄笑した。

 現実逃避も出来ず、菊地には余裕が無い。変態イタ電を逆手に取る程、茶目っ気も機知もなく、八つ当たりの様な怒りが逆巻いている。「まったく、‥冗談じゃない、真昼間から」迷惑電話の相手は菊地を「奥さん」だと疑いもせず、その所だけは菊地をいなしている。 だが、その不愉快さは、排除しきれない絶望感を招き、ぷすぷす萎み掛ける至福感を再認識させる程の威力があったのだ。菊地は、感情的勢いで受話器を掴んだ。記憶している番号を声に出し、深く一呼吸した。「もしもし、あの‥菊地ですが」菊地がダイヤルした先は、遠三根コーポレーション社長室直通である。電話には秘書の真澄が、重役会議の旨を受け答えている。「では、遠三根忍さんに‥」アドリブだらけの三文芝居に幕を下ろすと、菊地は淡々と返金小切手共に、辞退を口にした。「ご伝言 お願いします」一方的に用件を伝えると電話を切った。そして、クローゼットへ引き返し、菊地は豪門寺の服に着替えた。買い物に行くでも、近場へ出るのでもなく、自宅へ帰宅するために着替えたのである。

 


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